晶の日記

見た展覧会や手芸など。時々民藝。

「茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術」を見に行きました。

書くのが遅くなってしまいましたが、始まってすぐ見に行きました。

東京国立近代美術館で開催中の「茶碗の中の宇宙―樂家一子相伝の芸術」


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お茶については無知ですが、「もの」としての佇まい、美しさ、

そして樂家の個性豊かな歴代たちが今まで続いてきたことに

とても魅了されている樂家ファンなので、とても楽しみでした。

 

昨年、京都の樂美術館で三代道入だけの展覧会があり、

そちらもとても良かったです。

他の歴代についても改めて作品を知りたくなりました。

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樂家の初代は長次郎。

豊臣秀吉の時代に侘び茶を確立した利休から依頼され、

赤樂茶碗(土色)と黒樂茶碗を制作したのが始まりです。

華やかで派手、豪快さが特徴の桃山文化の時代に、

装飾や誇張を抑えた黒一色のお茶碗。

利休の侘び茶の思想が表現された世界でした。

 

利休と出会い茶碗を製作する前の、獅子の作品。

長次郎  二彩獅子 (図録より)
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長次郎  黒樂茶碗 銘 大黒 (図録より)
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長次郎  赤樂茶碗 銘 無一物 (図録より)
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二代常慶は、長次郎の妻の祖父・田中宗慶の子でした。

田中宗慶は利休の側にいた人物であり、長次郎らと窯を築いたそうです。

展覧会では宗慶の作品も展示されています。

 

二代常慶は長次郎の茶碗を踏まえつつ、同時代の織部茶碗と

同じ時代の空気を取り込んだ、動きと変化をもつ茶碗が特徴で、

樂家の基盤を確立した人物。

 

三代道入は「ノンコウ」の愛称で親しまれている

現代にもファンが多いモダンな作風です。

茶碗に光沢があるのと、抽象的な絵などの装飾が特徴。

道入17歳の時、58歳の本阿弥光悦と交流が始まり、

光悦の芸術性や精神を学びつつも、自分だけのオリジナルな作風を

生み出していくという作陶に対する向き合い方が

その後の樂家の教えの主軸となっているとのこと。

道入の作品は、今見てもとても素敵!

 

道入  黒樂茶碗 銘 青山 (図録より)

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道入  赤樂茶碗 銘 鵺 (図録より)
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展覧会では、樂家と親しい関係にあった本阿弥光悦の茶碗もありました。

光悦は芸術面での影響の他、利休没後には将軍家や大名との

関係を取り持ち、樂家を大きく支えたとのことです。

光悦が茶碗を作るとこんな感じに。。。

歴代とはまた趣が異なります。

 

本阿弥光悦 赤樂茶碗 銘 乙御前 (図録より)
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四代一入は、初めて茶碗に具象的な絵を描いた人。

一入 樵之絵黒樂茶碗 銘 山里(図録より)
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描かれてるのは、樵(きこり)!

 

五代宗入は、尾形光琳・乾山の生家雁金屋からの養子で二人の従兄弟。

利休没後100年にあたり、初代長次郎に思いを寄せつつ、

独自の侘びの世界を表現。

 

六代左入は、五代宗入の娘婿として樂家の養子に。

樂家の外からやってきて新しく自由な作品を残したそうです。

 

七代長入は、六代左入の長男。

江戸中期に当たり、千家も三家に分かれて繁栄し、

茶の湯は町人層にも広がっていった時期でした。

長入の茶碗は大振りでやや厚造り、どっしりとした存在感が特徴。

 

八代得入は、病弱で26歳で家督を譲り、30歳の若さでこの世を去りました。

展覧会では得入の茶碗もしっかり並んでいます。

なんだか切ない。。。

 

九代了入は、八代得入の弟さん。

了入33歳の時、天明の大火に遭い、そこから樂家を再建した「中興の祖」。

了入は彫刻的な篦削りによる作陶が特徴。形がとっても格好いい!


了入 白樂筒茶碗(図録より)
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了入 赤樂茶碗 古稀七十之内(図録より)
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了入は79歳まで現役で作陶されたそうです。

一子相伝なので、得入が長生きしてたらこの了入の茶碗たちは

今見られなかったかもしれないと思うと、運命はあると感じてしまいます。

 

十代旦入は、九代了入の次男

お兄さんが若くして亡くなられたとのことで、また次男登場です。

江戸後期から幕末、明治に向かって華やかで技巧的・装飾的な

京焼が盛んになる時代に了入の篦削りの技法を装飾技法に

旦入は完成させました。

 

旦入 不二之絵黒樂茶碗(図録より)
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十一代慶入は、11歳で十代旦入の養子に。

慶入は大政奉還で幕府から明治に移り変わる時代に生きました。

欧化政策や幕藩体制の崩壊で、茶道の衰退、庇護者や愛好者を失うという

苦難に加えて、大火に遭い、樂家も大きい被害を被るという中で、

茶碗以外にも皿や鉢、懐石道具類など幅広く制作を行ったとのこと。

道入、了入に次ぐ名工として優れた技の持ち主とされています。

困難な時代に負けることなく、腕の良さで再建していくなんて、

とても仕事ができる家長ですね。。。

 

十二代弘入の時代も、引き続き茶道の衰退期に当たり、

苦労の時期を過ごした後、長次郎三百回忌を迎え、

その後ようやく茶道界に活気が戻ってくるという時期。

そのため、総体的に茶碗は小振りらしいです。

 

十三代惺入は、第一次世界大戦第二次世界大戦の混乱と苦難の時代を生き、

その中で茶道文化の繁栄に尽力、茶道研究雑誌を発行したり、

釉薬の研究に力を注いだ人。

また、南画など墨絵をたしなみ、漢詩や和歌などを学び、

文人的な教養を身につけて作陶に役立てたとのこと。

本当に茶道や文化を愛した人だったんですね。

惺入 黒樂茶碗 銘 若草(図録より)
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十四代覚入は、第二次世界大戦に従軍し、帰国後一人で樂家を立て直しました。

晩年に樂美術館を開館。無形文化財技術保持者に認定。

「伝統とは決して踏襲ではない。己の時代に生き、

己の世界を築き上げねばならない」という覚入の言葉通り、

覚入の新しい世界観の表現された茶碗に、樂家の継承しているものを感じます。

 

覚入 赤樂茶碗 銘 杉木立(図録より)
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覚入 色釉流水文赤樂平茶碗 銘 綵衣
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歴代それぞれの表現、個性が感じられて、樂家って面白い!

 

十五代吉左衞門は、今の当代。

東京藝術大学彫刻科卒業後、イタリア留学、帰国後作陶に入り、

1981年に襲名。国内外でご活躍中です。

 

当代の作品、たくさん展示されています。

正直なところ、十四代まで見たところで力尽きてしまったので、

もう一回、当代の作品メインで見に行ってくるつもりです。

なので、当代以降は今日は割愛します。

 

私は10年以上前、京都外国語大学で当代の講演を聞き、

イタリアの話だったと思いますが(もう忘れてしまいました)

すごいと思って樂美術館で作品を見ました。

ちょうど、お茶室で樂家のお茶碗を触って観賞する会でした。

最初は当代の作品を観賞していましたが、道入、了入など

歴代の有名な何人かを知り、今回で全員の作品を解説と共に見て

感慨深くなりました。

初代長次郎や先代たちに、歴代の作家たちが挑んでいるような、

でも、それぞれの時代を生き、自らの表現を行っていく

それが継承されていく樂家っておもしろいですね。

当代と篤人さんの今後もとても楽しみです。

5月に続きを書きたいです。