晶の東京日記

本とかアートのこと。東京にいる間は東京を楽しみたい。

世田谷美術館「濱田庄司展」

世田谷美術館濱田庄司展へ。
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こちらの美術館の最初の展示室の窓が見えるのは、私が訪問した中では初めて。
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夏の鮮やかな緑を背景に、大きい作品が3点。贅沢です。このおおらかな感じが濱田庄司っぽく感じました。
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濱田庄司は益子に拠点を置いた陶芸家で、柳宗悦河井寛次郎らと民藝運動を行い、日本民藝館2代目館長であり、益子に参考館を作り、人間国宝に認定され、文化勲章も受章されるなど、生涯とっても精力的に生きられた方。今回の展覧会は大阪の東洋陶磁美術館所蔵の濱田庄司と親交のあった堀尾幹雄さんが実際に使っていたというコレクションと、益子参考館の作品が展示されています。

 

濱田庄司は学校で板谷波山に窯業を学び、京都の市磁器試験場へ河井寛次郎を訪ね、その後自身もそこで働いた後、26歳でバーナード・リーチとイギリスに渡り、セント・アイヴスに窯を築きます。その当時、ディッチリングへ染織家エセル・メーレ夫人や彫刻家エリック・ギルを訪ね、その暮らしぶりに感動して、帰国後、益子を拠点に選ぶきっかけとなりました。

 

「彼らの落ち着きが、正しい暮らしなしでは得られないことに気付かされました」とキャプションにありましたが、この気付きからの濱田の生き方が、濱田の作品から感じる健やかで健全で、日常でしっかり働く器という印象を作ってるんだなと思いました。民藝は無名の工人が繰り返し作る過程に美が宿るみたいな解釈があり、作家がいるのはおかしいみたいな話を聞いたこともありますが、この濱田のライフスタイルが民藝なんだろうなと、私は思います。

20代で柳宗悦や富本憲吉らと出会い、京都や沖縄、イギリスで作陶し、どんどん濱田庄司の世界が出来上がり…

「私の陶器の仕事は、京都で道を見つけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」という言葉を残していらっしゃいます。

ポスターの写真は作業衣を来て古民家みたいな住まいにいらっしゃいますが、お家にはイギリスの家具やイームズの椅子など西洋のものも多く、食べ物も国内外のいろいろなお料理を召し上がっていたそうです。いつもお客様があり、家族も職人さんも多くいて、いつも賑やかだったとのこと。お仕事も作業が早く、ささっと仕上げていたそうですが、「15秒プラス60年」とおっしゃられていたように、長年の研究や経験が築いた技術とフットワークの軽さ、お人柄、いろんな意味でパワフルな方だったんだろうなと感じます。

 

いい展覧会でした。