晶の東京日記

本とか美術のこと。東京にいる間は東京を楽しみたい。

「メアリー・カサット展」を見に、再び横浜美術館へ

3月に江國香織さんと学芸員の沼田さんのトークイベントでお話を聞いて

すぐにでも行きたいくらいなはずだったはずなのに。。。

印象派の女性画家「メアリー・カサット」の魅力の詰まった、江國香織さんのトークイベント - 晶の東京日記

 

いざ会期となれば「休みの日に会社の近くに行くなんてめんどくさーい」など

うだうだしていましたが、ようやく見に行ってきました。

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メアリー・カサット展 / 2016年6月25日(土)~9月11日(日) / 横浜美術館

※こちらのページでトークイベントの様子が読めます。

 

お盆前の平日のお昼に伺いましたが、ほどほどに混んでいました。

お客さんは女性の多く目立ちましたが、お一人の方も多く、じっくりご覧に

なられている方が多かった印象です。

夏休みの宿題か、お子様がお母様と一緒に質問しながら鑑賞している

微笑ましい場面にも度々遭遇しました。

 

メアリー・カサットはアメリカ出身で、パリで活躍した印象派の女性画家です。

女性が絵を描くことがまだ社会では認知されていない時代、

お父様の反対を押し切ってパリに渡って絵を学び、サロンでの入選を経験し、

一度はアメリカへ戻りますが、再度パリに渡り、パリに暮らすことを選びます。

そしてドガと出会い、印象派に参加することとなりました。

その後、ご両親とお姉さんがパリに来て一緒に暮らし、お姉さんの死やご両親の

介護で制作をお休みする時期もありましたが、生涯パリにて絵を描き続けました。

女性画家のパイオニアとしての生き方も注目されています。

 

展示室の壁にこんなカサットの言葉がありました。

ドガのパステル画を初めて目にしたときの回想とのことです。

 

「私はウインドーに近寄って、そこに鼻を押し付け、

彼の芸術から吸収できるすべてを吸収したものです。

その絵が私の人生を変えてしまいました。

私はその時、芸術を自分が見たいと思うように見るようになったのです。」

 

カサット31歳くらいの時のことだと思います。

カサットは生涯独身でしたが、ずっとドガと親交があり、最期も看取ったようです。

そしてドガが亡くなった後、お互いの手紙を燃やしてしまったそうで

事実関係はわかりませんが、若いときに自分に衝撃を与え、導いてくれた人と

ずっと一緒に生きて、自分は自立して自分の仕事を確立し、相手とも絵や版画という

仕事の面でも刺激を与えあえるなんて。。。ドラマみたい。

(実際には気性の激しいドガとの付き合いは大変だったようですが)

カサットは90年前に82歳で亡くなってるので、約100年前に、現代あるような

パートナーシップを築いていたとすれば、やはり自立した女性として先駆的ですね。

 

カサットは油彩だけでなく、銅版画でも多様な表現で作品を残しています。

ドガやピサロと一緒に銅版画を研究していたとのこと。

そして、1890年に見た日本の浮世絵展に大変感銘を受けて、

浮世絵の大胆な構図や、輪郭線の縁取りと平面的な色彩表現などを

自分の作品にも反映させていました。

あまりにも感激して、親しくしていた女性画家、ベルト・モリゾにも

一緒に見に行きましょう!見逃してはならないわ!とお手紙を書いたようです。

傑作と言われている10点組の多色刷り銅版画も今回出品されています。

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《沐浴する女》1890-91年、 ドライポイント、アクアチント、36.7×26.8cm、ブリンマー・カレッジ蔵 Courtesy of Bryn Mawr College

 

西洋絵画の伝統では鏡の前の女性は「人生の虚しさ」の寓意と言われていた

そうですが、浮世絵では描かれている作品もあり、そういう従来の枠も超えて

積極的に挑戦していたようです。

また、日本の絵も集めていたようで、喜多川相説(宗達、宗雪と続いた俵屋工房を

継承)の屏風なども、カサットの元所蔵品として展示されていました。

そういったこともあり、「ジャポニスム」の画家としても知られているようです。

 

カサットの代表作で、今回初来日のこちらの作品。

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《桟敷席にて》1878年、 油彩・カンヴァス、81.3×66.0cm、ボストン美術館蔵 The Hayden Collection―Charles Henry Hayden Fund, 10.35. Photography ©2015 Museum of Fine Arts, Boston

 

夢中になって熱心に観劇する女性の姿と、向こうからその女性を見ている男性、

そしてその男性には目もくれず、自分の楽しみを優先している女性の姿。

ここに、見られる対象としての女性ではなく、自ら行動する女性を描いている

というふうにも捉えられます。

そこに、カサット自身が自分でしっかり立って自立していくという想いも

感じられますし、そういう気持ちで生きていたんだなと思わされました。

 

ポスターにもなっていますが、カサットは母子像の作品を多く残しています。

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《眠たい子どもを沐浴させる母親》1880年、油彩・カンヴァス、100.3×65.7cm、ロサンゼルス郡立美術館蔵 Digital Image ©2015 Museum Associates LACMA. Licensed by Art Resource, NY

 

ご自身でも母子像と言えば私、みたいな自負があったようです。

カサット自身子供はいなかったようですが、親戚の子供たちや、依頼されて

母と子の絵をたくさん描いています。

 

私はカサットが、自分の子供に向ける目線とは異なった客観的な目で描いている中に

とても愛に満ちた優しい日常の一つの場面を感じます。

でもそれは我が子への愛情とは違っていて、もっと広く大きい愛情を、

自立していた彼女は表現できていたのではないかなと思いました。

それなので、母と子の姿だけど甘すぎず、媚びてもいない、過剰過ぎない、

でも親しみがあって誰もが懐かしいようなあたたかい気持ちになれる作品に

見えました。

 

母子像だけでなく、家族と日常を、読書をするお母さん、手芸をするお姉さん、

お茶をしたり、食事をする家族なども多く描かれています。

カサットにとって、日常を描くことが生きることだったのかなと思います。

そしてその日常を大切に生きた人に見えました。

品があって知性を感じる多くの作品に、きっとご本人もきっと

そういうお人柄だったことと思わされます。

実際の年表を見て、解説を読み、話を聞いて、やはり生き方が作品に表れている

ように感じました。

 

カサットは、ハブマイヤー夫妻らアメリカのコレクターに作品収集のアドバイスを

していました。(後にこの夫妻のコレクションはメトロポリタン美術館へ寄贈)

 

そのエルダー・ハブマイヤーに語った言葉も、展示室で見ることができました。

 

「私は自立している。

 一人で生きていくことができ、

 仕事を愛しているから。」

 

「画家が進む道は二つあります。

 一つは広くて平坦な道。

 もう一つは狭くて険しい道です。」

 

また、誰宛かはちゃんとメモしてなくてわかんなくなってしまいましたが、

カサットが書いた手紙の一文も紹介されていました。

 

「アーティストである喜びと比べられるものが

 いったいあるというのかしら?」

 

カサットは自分一人でちゃんと生きていくと、人生のどこかで決意し、

そして狭くて険しい道を選び、自分の仕事を愛するというやり方で、

それを現実に実行していったんだなと感じます。

 

もし今の現代社会に存在していても、とってもエネルギッシュな女性。

こんなパワーは正直持てませんが、自分が決めたことをとことんやっていく中で

磨かれた知性、自分への誇りと大きい愛情を持って生きた姿には憧れます。

 

声高に女性の権利や男性に負けない、対等に!なんて主張は一切なくても、

女性の目線で女性の生活を自分らしく描き、生きることで、

自立して生きた、とても柔軟で聡明な女性だったと思いました。

清々しい展覧会でした。

 

9月11日(日)まで、横浜美術館にて。

京都展は京都国立近代美術館にて。

9月27日(火)~12月4日(日)

 

 

 

 

 

 

北大路魯山人の言葉たち

4月に始まって6月26日まで、三井記念美術館にて

北大路魯山人の美 和食の天才」という展覧会が行われています。

www.mitsui-museum.jp

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魯山人といえば。。。

 

自分の作った料理を盛るために陶芸を始めて、ついには陶芸家になった人。

傍若無人で気難しい人。

イサムノグチと親交がある。

 

という浅い知識でしたが、美術の世界では要人なのかと思い、

展覧会へ行く前に魯山人について書かれた本を読みました。

 

 解説によると、著者の山田さんは魯山人の遺族や関係者80人余りを

探し当てて訪ね、活字化された魯山人の文献はほぼすべてに当たられたそうで、

「とほうもなく精密な魯山人評伝」とのこと。

山田さんのお父様は魯山人会の発起人らしく、

子供のころのお家の器は魯山人のものだったというご縁のある方です。

知られざる魯山人 (文春文庫)

知られざる魯山人 (文春文庫)

 

 

魯山人は京都の生まれで、若いときから書や篆刻で才能を発揮し、活躍します。

北陸とも縁があり、その後東京に出てきて書や篆刻のほかに、

古美術を扱う仕事をはじめ、その延長で骨董の器に料理を盛り付けて供する

会員制の食事会を行うようになります。

お料理は子供のころから家庭で行い、修行もした時期もあり、

美味しいもの好きと相まって、料理人としても才能を発揮されました。

それが好評となり会員が増え、星岡茶寮という料亭を始めます。

そして茶寮で使用する器を自分で作るため、星岡窯という窯を築きます。

そこで陶芸の研究や古窯の発掘調査にも力をいれ、古美術蒐集にもどんどん

のめりこんでいきます。そこでお金もいっぱいつかい、茶寮でも自分の意思を

貫き通し、やがて、茶寮経営者と仲違いして茶寮を追われます。

そこから、魯山人は陶芸家としての道を探求していきます。。。。

 

というのがざっくりした魯山人の歩みです。

 

こちらの本で、魯山人について書かれたものから魯山人の人となりのわかる文章が

ところどころに紹介されていて、傍若無人で気性が激しく感じる魯山人

大事にしていた考え方や姿勢が伝わってきました。

 

魯山人は一人の人間としての在り方や心が作品に表れると言っていると同時に、

作品をみて、その人を感じていたようです。

特に書に関しては、書かれた文字でその人がわかると言い、茶寮の面接も

手書きの履歴書を見て採用を決めていたそうです。

それだけに、周囲の人たちの日頃の行動にも厳しい目線を送っていたのだと思います。

そのために、激しく怒りをぶつけたり、衝動的な行動に感じられることも

あったのかもしれません。

数々のエピソードの中では、筋を通して接することや相手を想う話も多くあり、

どんなときにも自分が大事だと思ったことを貫いた結果だったのかと思います。

 

本で紹介されていた魯山人の言葉を抜粋したので、長いですが、下記に引用します。

※「」のないものは、本の中の山田さんの文章です。

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「私が言いたいことは、たとえいかなる社会事業も、善行も、すべて人のためにやることでなく、『人のためにするのだ』という自分の喜びのために、実はなされているのだということを言いたいのだ。
しかも、それはまことに大切なことで、すべて自分のためにすることのできる人にして、はじめて人のためにすることが出来る人だということを私は言いたい。
自分は満足しなくて、人のためだけに生きているという人があれば、それは偽善者だと思う。偽善者とは、人を、社会を、あざむく人のことではなく、自分自身をあざむく人のことだ。画家は人を感心さす絵をかこうとするな、先ず自分が酔える絵を描くべし。自分さえ酔うことができない絵に、誰が酔うものか
(昭和28年「誰がために」『独歩 魯山人芸術論集』)
 
「萬暦赤絵は風彩要望の點は非常に立派だが、内容は其立派な風彩に伴はない。(中略)要するに彼(萬暦赤絵)は形式の作品であり、是(古九谷赤絵)は内容の作品であると言い得るのである。(中略)此の方(古九谷赤絵)は色も黒ずんでいるし、塗り方もキタない、支那のもののやうな手際がない。(中略)だが、それにも拘らずよい感じがする。(中略)之は結局作者の国柄と人の問題である、いい人の手になったものは、不手際でもいいものが出る。つまらぬ人間がいくら手際よくやっても、やはりそのつまらなさと蔽うことは出来ない
(「古九谷赤絵の壺」『星岡』62号 昭和10年11月)
 
「残肴の整理などと云えば、如何にも吝ちに見えるが、米一粒でさへ用を完う(まっとう)しないで捨て去って仕舞ふことは勿体ない。雀にやるとか、糊をこしらへるとかすることも料理人の心懸くべきことである。一椀の飯でも意味なく捨て去つて仕舞ふことは許されない。用なるものはことごとくその用を使ひはたす所に天然の妙味があるのだと思ふ。(中略)料理人は料理で金を儲けることよりも、料理に興味を持つといふことが天命であらう。
(『星岡』54号 昭和10年3月)

 

「いずれにしても食を説くかぎり、食品そのものの持つ特質を鋭敏に知悉し、そこより料理の工夫を発見し、それが合法に処理されるならば、食つてうまく、うまければこそ、その栄養は申し分なく成功し、心身爽快、健康成就と落ち着く所に落ち着くのである。こうなると料理の考え方も芸術的になり、面白くなると言うものである。世間にありふれたインチキ料理、出鱈目料理では、ごまかされて生きる人間ばかりが輩出し、その後におこるものは殺伐をみるばかりである」
(昭和29年「美食五十年の体験」『独歩 魯山人芸術集』前掲書)
 
作品(茶碗)の美をとおして、何はさておき造り手の人間を見ようとするところが他の鑑賞者と異なる魯山人の視点である。陶磁器に留まらず、書などすべての芸術作品に対して彼は、そこに人間の崇高を見ようとした。
 
「とにかく隠れた所を穢くしておかぬように厳重に言い付けてはおくのです。鍋もきれいに磨かせて、流ししたを綺麗にしておけば、そこを流れるごみも綺麗に見えるようなものでしてね。塵箱などもやかましく言ってごみを捨てるところだという考えを持たず、食器などと同様の心持ちで取扱わせているのです。それからなによりもまず第一に私は料理人の個性を重んじ、人格を尊んで行くことが大事だとおもっていますんです。でなくては良い料理人の個性を重んじ、人格を尊んで行くことが大事だと思っていますんです。でなくては良い料理は出来やしません。周囲を清潔にしてその中に美しい人格を育み、そして心から美しい料理を作らせたいと思っているんです。
(『独歩 魯山人芸術論集』前掲書)
 
彼が終の栖として移築した300年前の田舎家(母屋。のちに財産税の支払いのために敷地ごと売却)は、移築から竣工まで300年近くもかけた。なぜ刈れば己の住まいと環境の整備にそれほど腐心したのか。理由は簡単である。彼は大自然と一体化すること、そのような生活からのみ本物の芸術が生まれると確信していたからだ。
 
良寛様の書は室からいっても、外貌からいっても、実に稀にみるすばらしい良能の美書であって、珍しくも、正しい嘘のない姿である。いわゆる真善美を兼ね具えたものというべきであろう。かような良能の美書の生まれたのは、良寛様その人の人格が優れて立派であったからである。書には必ず人格が反映しているもので、人格が反映していない人格以上の書の生まれ出ることなど、まずもってあり得ない。
 
良寛様の書は、良寛様のあの人となりにして、初めて生まれたものなのである。今一方仮に、良寛様の人格を封じ込めておいて、単に技能的立場だけから見るとしても、良寛様の書技は大したもので、古法帖に伝わる幾多の能書に比較して更に遜色がないのみか、まったく脅威に値する入神の技あで立ち至っている。この点でも、私は深く感心させられているのである」
(「魅力としての親しみと美に優れた良寛の書」『魯山人書論』前掲書)
 
「現今、芸術の世界にまで勲章が授けられることとなり、大いに懐具合のタネになっているらしいが、文部大臣賞とか芸術院賞とか言っても、肝心の文部大臣が芸術のなんたるかを知らない者であっては、どうにもならない。賞をくださる人が目利きであっての授賞なら話はわかる。だから、賞を貰う前に、『一体誰がくれるんだ』と、先ず授賞を決定する御当人たちの選衡からはじめねばなるまいね。目の利かん者が決定するなどは、傲慢であり、無法であり、不遜と言う他はないね。それに作家にとっては、作品が永久にものをいうから、勲章などどいうアクセサリーはいらないね。
(「魯山人こぼれ話<4>」『陶説』124号 昭和38年7月)
 
いい作品を生むためには、もっと生活が豊かにならなければいけない。豊かにというのは金があればよいということではない。心が豊かになるということだ。現象にばかりひっかかって右往左往していては、どんなりくつがあっても立派なものは出来っこないのだね」
(平野雅章「日々是精進ー魯山人晩年のあけくれー」『Beauty Science』No.2 前掲誌)
 
「どんな境涯にあっても、毅然たる心を持たねばならん。芸術家の生活に於いては特にそうだが、下らん遁辞を設けて、自分の不備を棚上げしてしまうような弱さではいけない。自分自身に忠実、素直に対決することが、生きるということだね
(「魯山人こぼれ話<1>『陶説』121号 昭和38年4月)

 

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魯山人民芸運動を提唱していた柳宗悦のことも痛烈に批判します。

柳はそれに対して応戦はせず、また、魯山人の審美眼を認めていました。

そして、魯山人も民芸論を批判しながらも、民芸の品々に囲まれて

生活していたそうです。

お互いに共通の美意識を持っていたようです。

表現方法は異なっていても。

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ちなみに柳は、やはり挑発に乗らずだんまりを決め込んだ口だった(但し葉書は出した)が、魯山人の側近だった秦秀雄がのちに柳に会った際に、柳から「君のこれまでつきあった人の中でどんな人が一番目ききだったと見ましたか」と質問をされ、没して間もなかった魯山人の名を挙げると、柳は微笑をたたえながら「やっぱり魯山人上越す鑑賞人はちょっとめっけられまいね」と応じた。そのときの秦の印象では「そこには往年民芸論に茶々をさした山人(魯山人)に対するにくしみのひとかけらも見出すことはできなかった」(『追想の魯山人』前掲書)という。

 

その彼の身の回りに上等の民芸品があったことについては、秦秀雄が、魯山人の他界後まもなく柳に会った折り、こう述べたと記している。
「あの人(魯山人)の嗜好に独特の目、自由に物を選ぶ目を持っていましたよ。(中略)
一ぺんあなたに彼の書斎をお見せしたかったですね。英国の古い机に二重クッションの黒い革張りの英国の古い椅子、それにウィンゾアの椅子をいくつももって客に応接していましたよ。民芸愛好を口にする(あなたのような)人よりはるかに民芸調の暮らしをした人ですよ。だいいち彼の田舎家の住居は仏壇も神棚も調度品一切民芸品の宝庫でしたからねえ」(「魯山人追想」『追想の魯山人』前掲書)
 
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多くの才能に恵まれて、誰よりも貪欲に生きた魯山人
展覧会で彼の生き様を少しでも感じられることを楽しみにしています。
 
会期は6月26日(日)まで。
 

京都の本屋さん誠光社の堀部さんのお話   青山ブックセンターにて。

今日も青山ブックセンターへ。

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4日は坂口恭平さんの九州大震災復興支援トークライブということで、

熊本県の橙書店さんへ全額寄付のイベントでした。

坂口さんがとてもおもしろくて、深刻なそして愛あるお話でしたが、

たくさん笑って楽しいイベントでした。

 

今日も本屋さんと出版社さんの対談をうかがいに。

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京都の誠光社・店主の堀部さんのお話を

お一人で出版社を経営されている夏葉社の島田さんが

聞き手でうかがうというトークイベントでした。

 

堀部さんは京都の人気書店・恵文社一乗寺店で店長を務められ、

その後京都市内、河原町丸太町にご自身のお店を持たれて独立し、

本屋さんを営まれています。

 

私自身、京都に住んでいたのもあって、恵文社さんにはよく行っていたのと、

誠光社さんの場所を北にちょっと行った今出川に近いところに住んでいたので、

勝手に親近感があったのと、どんな本屋さんなのかな?と興味があって

行ってきました。本好きなので。京都に行ったとき、また行ってみたいところが

増えるかもと思いながら。

 

いろんなお話をしてくださって、聞き手の島田さんもびっくりされていましたが、

芯の通った姿勢、考え方がとても素敵だなと思いました。

また、開業されるにあたってのお金の面のお話や、取次店とのことなども

明快にお話してくださいました。収支についての考え方はシンプルだったので、

書店を開業することはない私にも参考になりました。

 

大きい組織ではできなくて、小さいからこそ自分らしく好きなことができるし、

自分の好きなことややりたいこと、情熱を活かせることをやっていくと

他にないお店になっていくということをお話聞いて一番いいなと思いました。

自分が好きなことをし続けていくために、必要な組織のサイズや働き方、

そこから得られる収入は、人によって様々だと思いますが、

自分の個性を大事に思い切り好きなことをやるには、小さいサイズの方が

できることがいっぱいあるし、大きい組織ではできないことができたりすることは

小さいお店のいいところ。

そして、そこに行かないと出会えない人、出会えないものがあるお店、

自分では知りえなかった自分の好きなものが発見されて広がっていくお店、

そういうお店をつくっていけるのも、自分が好きなことをやり続けた先に

あるんだと思いました。

他人のスタンダードは気にすることなく自分の仕事への真摯な姿勢で、

続いていくことが尊敬を集めること、など、「在り方」についても

心に響く言葉がいっぱいでした。

 

いろいろと聴かせていただいたのですが、すごい!と感動しながらも

自分の言葉で再現するのは難しいです。。。(すみません)

 

堀部さんのお店のすぐそばには素敵な喫茶店が2軒あるそうです。

本を買ったらお茶をしながら本を読んでもらったり、

喫茶店へ行く人が本屋さんの前を通って「今度は本屋さんもいこう」と思ったり、

そういう広がりについてもお話されていました。

堀部さんもそちらのお店へ以前から行っていて、お仕事もされたりするとか。

京都っぽいなと思いました。

私も住んでいるとき、いろんなお店にお世話になって、そこで出会った人と

仲良くなったり、なにか紹介してもらったり、他のお店で出会ったり。。。と

いろんなつながりを持てていたので、そういうつながりの中でお仕事をされて

いらっしゃるのがすごくいいなと思いました。

好きなことが商いになっている同士で、お互いの得意なことを提供し合えて

生活が豊かになるのは、羨ましいし、憧れます。

 

最後になりますが、誠光社さんはやっぱり、堀部さんの今までのご経験や

知識、感性、センスが集結しているお店だと感じました。

お店の商品の揃え方、並べ方、取引先との関係、オンラインストアの見せ方、

いろんなところにおもしろく見られるように工夫がされて、

キャプションも全部ご自身で書かれていて、好きがいっぱいつまっていると

感じました。

自分で選んでいても一人の目だけではなくて、複数の人の目で選んでいるように

構成されていらっしゃるとか。

それを「編集」と呼ばれて表現されていました。

 

お休みの日にもいろんなところへお出かけになり、いろいろと見て、

いろいろなものを批評し、お仕事に活かしていかれているとのことでした。

 

ますます誠光社に行ってみたくなりました。

そして自分がそこでどんな本に惹かれるのかもすごく楽しみです。

それだけでなく、働き方、自分の在り方についても、多くの刺激をいただいて

とても楽しい対談でした。

どうもありがとうございました。

 

 

 

芹沢銈介さんの世界を国立近代美術館工芸館で

安田靫彦展の後、出光美術館へ行きたい気持ち満々でしたが、

月曜日なので出光は休館。

でも何か見たいというところにうってつけの展覧会が!

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ということで、

工芸館の「芹沢銈介のいろは 金子量重コレクション」を見てきました。

 

若いころ、芹沢銈介さんが好きすぎて、四国の山の上にある美術館に行ったら

残念ながら休館でしたが館の方が哀れに思ったのかカレンダーを売ってくれて

駅まで送って下さいました。

青春18きっぷで旅行中に思い立って登呂遺跡にある芹沢銈介美術館へ寄り、

バスの都合でさっと見てとんぼ返りしたことも。

もとはといえば、大原美術館の工芸館があまりに素敵でそこからの民藝ファン、

そして20代後半での美術館ボランティアで自分の好みが培われたと思います。

今日も展示にすごくワクワクして見てきました。

 

芹沢銈介といえば、文字を装飾化して絵のように描いた作品が多くあります。

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着物の柄もよく見ると文字

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こちらは、大皿の焼き物に描きたい模様の案!

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書もあり。

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こんな書と絵が一緒の色紙も。

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光原社のマッチ箱の絵。

「わたしは染工として、染めるものならなんでもやる。

マッチ箱だって、蔵書票だって、わたしには本をつくるのとおなじです。

おなじ打ちこみ方をしてしまうのです。」

さすがです!!

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うちわも。

民藝館とかで夏に貸してくれるのは、この芹沢銈介デザインだった気が。

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カレンダー

今も富山県八尾町の桂樹舎さんにて製作されているそうです。

図案がおもしろくて、かわいくて、いろんなデザインがあります。

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「暮らしの美」を啓発する民藝運動の機関誌として出版された

『工藝』

表紙は芹沢銈介の図案、他には棟方志功のもあり、

柳宗悦をはじめ、河井寛次郎、富本憲吉、浜田庄司等が執筆したそうです。

専用の入れる箱(蓋付き!)もあるのですね。。。

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工芸館の2階には、黒田辰秋さんの椅子もありました。

京都の喫茶店・進々堂にも大きいテーブルがあります。

なんとなく似た雰囲気です。

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こちらの国立近代美術館工芸館は、金沢へ移転することが決まっています。

キャプションのデザインや字体がちょっと古めかしい感じだったので、

新しい土地で洗練された展示になることを願っています!

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「芹沢慶介のいろは 金子量重コレクション」

国立近代美術館工芸館にて 5月8日(日)まで

 

www.momat.go.jp

GWは竹橋へ 安田靫彦展を見てきました。

好きな画家を上げてくださいと言われたら、

私は迷わず「小倉遊亀さん」と答えます。

小倉遊亀さんの日常を描きながら、常に絵は明るくチャレンジしている空気が

とっても好きです。

生き生きした絵、綺麗な色、年々豊かに広がる表現も。。。

実際には今のように女性が仕事をしていない時代に自分を表現する絵を描くお仕事を

されることは大変だったことと思うのですが。

 

安田靫彦さんは小倉遊亀さんの師匠です。

それなので、私も今日は竹橋にある東京国立近代美術館の展覧会へ行ってきました。

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安田さんの透けるような綺麗な色や余白の美しさ、上品な絵はとても魅力的でした。

 

歴史の場面を描かれたものが多いのですが、古典を紐とき、ご自身の想像の中で

イメージを作られて表現されていらっしゃるようでした。

歴史もとても勉強されたでしょうし、腕や首などの身体に身につける装飾品や、

手に持つ道具類なども丁寧に描かれていて、確かに博物館や正倉院展で見る道具や

装飾品なのですが、このように使われていた様子を表現し、仕事がとても丁寧だと

思いました。キャプションに製作年と並んで年齢も書いてありましたが、

若いときから惜しみなく才能を発揮されていたのは、この真面目な姿勢があって

のことかと思いました。

 

私が特に感動したのは「夢殿」。28歳の時の作品です。

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※画像は滋賀県立近代美術館のホームページよりお借りしました。

 作品は東京国立博物館

 

着物の色と柄がとにかく美しくて、見とれました。

淡いピンクとベージュのような色で、繊細な線で描かれています。

中央にいるのは聖徳太子です。

聖徳太子を描いた作品は他にも複数ありました。

 

それと、私は若いときに美術館のボランティアでお世話になっていたのですが、

そちらの収蔵品の中に安田靫彦さんの作品があったので、

今日は懐かしく見入りました。別の美術館でまた再会できるとうれしいものですね。

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「飛鳥の春の額田王滋賀県立近代美術館のホームページより

 

20代の時にはどれが誰の作品かとか、正直よく理解できていませんでしたが、

いつも見ているとそれは自分の中に蓄積されていて、

年月がたってから引き出されたり、結びついたりするものだなぁと感じています。

だからやっぱりいいなと思ったものはとりあえず見る、感じる、という

スタンスでこれからもいろいろな作品と出会っていきたいと思います。

 

見に来ている方々もシニア層が多かったのですが、皆さん絵の前で譲り合って、

ショーケースの絵巻などは並んで、ゆったり落ち着いて鑑賞されていました。

結構混んでいましたが、私語もほとんど聞こえてこなくて、静かに見ました。

(先日の若冲展がウソみたいに!)

 

おばあさまたちの会話が聞こえてきたのですが、

頼朝(右)を堂々と華やかに見せ、義経(左)を地味にさみしく見せるため、

頼朝の背景のみに金粉をまいているそうです。

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確かに控えめながらきらきらしていました。

 

後で見た常設で小倉遊亀さんの絵を見ることができました。うれしい!

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※常設展は禁止マークのない作品は撮影可能とのことです。

 

東京国立近代美術館にて5月15日(日)までです。

www.momat.go.jp

生誕300年記念・若冲展に乗り込んで。

覚悟を決めて、若冲展に行ってきました。

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4月22日(金)から1か月間の短い期間なので、WEBでチケット買って、

4月26日(火)に。平日だったら大丈夫かなと思ったので。

 

私が初めて若冲を見たのは、名古屋でやっていたプライスコレクションです。

名古屋に連れて行ってもらったはいいけれど、数時間は一人で時間を潰さなきゃ

ならず、ちょうど栄にいたので美術館に行きました。

その前後に赤瀬川源平さんと山下裕二先生のこちらの本を読んだので、

若冲の存在だけは知っていました。

 

日本美術応援団 (ちくま文庫)

日本美術応援団 (ちくま文庫)

 

 

混んでいるとは思いましたが、9時15分頃東京都美術館に着いたら長蛇の列。

開館直後はやばいかもねと東照宮を散歩したり、国立博物館の常設展を見たりして

時間を潰して。。。

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国立博物館では、ちょうど「平成28年 新指定国宝・重要文化財」の展示があって、

国宝になった 岩佐又兵衛『紙本金地着色洛中洛外図(舟木本)』を見ることが

できました。

先日、日本美術全集の刊行記念のトークイベントで、国宝になったことを

辻先生と山下先生がお話されていました。

年初に「奇想の図譜」と間違えて「奇想の発見」という辻惟雄先生の自伝を

読んだのですが、それがすごく役立っているというか、最近の興味が辻先生に

行き着くので、本当によかったです。お人柄も素敵なので。

 

そんなで若冲展に戻っても、まだ行列。ランチしてお茶して戻ってもまだ行列で、

14時頃から70分並びました。暑い日だったので、美術館の入り口には給水所も!

 

館内で並んでいる途中に、「鳥獣花木図屏風」(白い象や鳥などのモザイク絵)の

チームラボの映像をやっていて、そちら側だったのでずっと見ていました。

館内で実物を見て、たくさんの動物や鳥が発見できて2度おいしかったです。

 

今回の目玉は宮内庁の「釈迦三尊像」と「動植綵絵」の全30幅が一度に公開

されるということで、そちらはやはり大混雑。

鑑賞者の流れができておらず、動きのない中、みんな必死に目的の絵を見ていました。

若冲の絵が細かいところまで丁寧にびっくりするくらい描きこんでいるので

長いことみていても飽きることはなく、どんどんいろんなことが発見できます。

みんな時間が足りないと思っていたことと思います。。。

 

私は動植綵絵のバラと小鳥の絵に今回一番魅了されました。

動植綵絵・薔薇小禽図」(写真は図録より)

 

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すごく美しい!華やかで綺麗で、素晴らしいです。。。感動でした。

 

若冲は京都の錦小路にある八百屋さんの長男として生まれましたが、

商売に興味がなく、賭け事や女性にも興味がなく、仏教を信じて

頭を丸め、菜食で、生涯独身を貫くような人だったようです。

狩野派に弟子入りしましたが、その後自分で写実を追求するようになり、

庭に何羽も鶏を飼って観察し、自らの絵を極めていったようです。

40歳頃お店を弟さんに任せて隠居して絵を本格的に描き始め、

10年ほどかかって「釈迦三尊像」と「動植綵絵」を完成させて

相国寺におさめたそうです。

その後、廃仏毀釈により相国寺がダメージを受けた際に、これらの絵を

宮内庁が買い上げて、そのおかげでお寺が救われたとか。

 

若冲はこの動植綵絵などを描きながら、水墨画も合間にたくさん描いて

いたそうです。水墨画はまた、省略された線とユーモアのある表現で

別の若冲らしさが表れています。

見ていて微笑んでしまうような絵もたくさんありました。

 

他にも、「鳥獣花木図屏風」のモザイク的な構成などの新しい表現、

新しい色や技術を取り入れたり、同じ絵を描くときは1回目より

進歩させるというか、新しいことを取り入れるなど、常に好奇心と

探究することを忘れなかったようです。

 

自分の好きなこととはいえ、絵の世界を探求し、新しいことを常に試み、

様々な表現を用いて自分の世界を描いていく。

朝から夕方までの日が差す時間だけしか明るくないでしょうし、

その時間だけ集中して描いていたのかもしれないし、

今より情報が少ない中で新しい画材を手に入れたり、新しいことを知ったり

していたと思うと本当にすごいと思います。

省みて、情報や物流が発達し、夜でも電気が使える現在ですが、

若冲若冲の生きた時代は想像力が今よりもっと発達していたのかもしれません。

 

アメリカにいらっしゃるプライスご夫婦が若冲を発見してくれて、

そして若冲の素晴らしさを日本人の私たちと共有してくれて

よかったなぁと思いました。

 

たくさん待ったりとか、混んでてなかなか見られないとか

イラッとすることもたくさんありましたが、

結局楽しく見ることができて感動できたので、若冲展行ってよかったです。

 

MIYAKE ISSEY展 三宅一生さんの仕事を見に。

書こうと思いながら1ヶ月以上もたってしまい、私も1つ歳をとりました。。。

4月22日生まれなのですが、誕生日占いで「同じ日に生まれた有名人」として

三宅一生さんのお名前が挙がっているので、22日は展覧会へ行ってきました。

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www.fashion-press.net

 

展覧会HP(音が出ます。)

MIYAKE ISSEY展 三宅一生の仕事

 

1970年に事務所を立ち上げられてからの作品の陳列から始まり現在に至るまでの

多くのデザインの服が展示されていました。

詳しく存じ上げていなくて、「プリーツ」のイメージが大きかったのですが、

プリーツだけでも多くの作品があり、展示もロープをひっぱってプリーツを

揺らしてみたり、プリーツを折る機械を実演していたり、

(作業しているスタッフの方もプリーツのかっこいいユニフォームでした。)

仮想で各国のオリンピックユニフォームを作ってみたりと、

デザインを発想し、現実化、それを楽しむところまで見せてくれていました。

 

他にも折りたたんで平面になるけど、着ると立体の素敵なドレスや

1枚の布を型抜きして纏う服、作品を使った映像など、多くのアイディアと

おもしろいもので溢れた展覧会でした。

 

三宅一生さんのつくる服は平面においてもデザインがかっこいいですが、

着るとまたかっこよく、レディースは女性らしさもあったりします。

すごく考えられていると思うし、多くの方々の知恵やセンスや、

新しい技術、世界中のいろいろ。。。あらゆるものを集結して作っていると思います。

 

今はあるかわかりませんが、10年以上前に、代々木上原らへんに

三宅一生さんのギャラリーがあって、そこで初めてハッリ・コスキネンの

透明なブロックに電球が入っているデザインを見てびっくりしました。

アーヴィング・ペン、田中一光さんとのかっこいいポスターなど、

洋服以外にも多くのセンス溢れるデザインを世に送り出していらっしゃる

三宅一生さんの才能を同世代で触れられることをうれしく思います。

21_21 DESIGN SIGHT - 企画展 「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展 - 開催概要

 

といっても、ISSEY MIYAKEの洋服を着ているわけでもなく、

三宅一生さんがディレクターを務めていらっしゃる21_21DESIGN SIGHTの企画展に

時々足を運び、ショップでお洋服やバッグをを眺めるくらいのファンですが、

これからもご活躍を楽しみにしています。

www.2121designsight.jp

 

先日、三宅一生さんの全仕事をまとめた本が刊行されました。

過去から最新のプロジェクトまでを見直し、年代順に紹介された

今までの仕事の集大成という大作で、世界1,000部限定とか!

Issey Miyake

Issey Miyake

 

 

この前、自分がどんな50歳を迎えるか考えているときに眺めていたこちらの本。

 

ずっと美しい人のマイ・スタイル (集英社ムック)

ずっと美しい人のマイ・スタイル (集英社ムック)

 

 こちらに、上記の三宅一生さんの本を3年以上かけて構想し、作り上げられた

北村みどりさんが載っていました。

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カッコイイです!

もともとお美しいと思いますが、常にセンスを磨き、表現される努力あっての

素敵さですね。

憧れます。

 

MIYAKE ISSEY展・三宅一生の仕事

国立新美術館にて 6月13日(月)まで